2007年09月06日

こんな夜はいつもより音量を上げて

1989年、当時私は海外音楽家を招聘する会社のポピュラー部に籍を置いていました。
もう一つの部、クラシック部で大掛かりなコンサートを行うのでアシストしてくれというので、
お手伝いをした事があります。

その大掛かりなコンサートというのが、パバロッティの単独日本武道館コンサートでした。

当時評論家の大先生や熱心なオペラファンの方々から「オペラを武道館で、それもPAを通して」と批判が随分あったと記憶しています。

そんな批判を知ってか知らずかプロダクションからきた最大の要求は、モニタに映る唇の動きとステージ横のPAの音と会場中ほどのPAの音とのディレイをなくす事でした。
ケーブルが一番長くなってしまうPAからすれば、どうやってコンマ数秒の未来の音を出せるのか?って事になってしまいます。
当時最高と言われていたピンク・フロイドのステージでさえ出来ていなかったはずです。
現在のようなデジタル信号の世の中だったらバッファのタイミング調整で問題なく実現可能なのでしょうが、
18年前はまだまだアナログ全盛期でしたから、まさに無理難題。
1年前にPAスタッフ中心でUSツアーに打ち合わせに行ったのですが、帰国した彼らに聞いたところ、「先端技術日本だからできるかも」の要求だったそうです。(さすがイタリア人)

とは言え一度乗りかかった船ですから、当時の先端技術とたくさんのアイデアでどうにか彼らが満足できる音響を作り上げる事が出来ました。
ただ予算は随分オーバーしたと聞いています。

ホテルの宴会場を借りて記者会見場を設営をしていたら、ふらっとニコニコしながら御大がやって来ました。
その時はち切れんばかりに着ていたのが、紺のセルジオ・タッキーニのジャージ上下。
なぜそんな事を覚えていたかというと、まだテニスボーイだった頃憎き先輩がいつも着ていたのがセルジオ・タッキーニだったので。
んーん先輩に感謝しないとな。

本番当日は裏方で走り回っていたのでしっかりと聞く事は出来ませんでしたが、
アンコール時にたまたまステージ袖にいました。
O Sole Mioが最後の曲だったと記憶しているのですが、
御大のその歌声を聞いて”後頭部を鈍器で殴られた”ようなショックを受けました。

コンサート終了と同時に「ブラーボ」の声に続いて武道館総立ちのスタンディング・オベーション。その中に批判していた先生方もいた事も覚えています。

それから数年間はカラオケに行く度にO Sole Mioを歌詞も分からずに熱唱していました。


いわゆるいいとこ取りのベスト盤みたいなCDですが、御大のDECCA/LONDONレーベルの中では比較的バランスよい音と選曲だと思います。
「O Sole Mio」や「Nessun Dorma!(誰も寝てはならぬ)」が有名どころですが、
Gypsy Kingsよりハートにグッと来る「Volare」や
ヘンリー・マンシーニが指揮する(多分)ボローニャ歌劇場管弦楽団と御大がまるでスケートリンクを滑っているような「Mamma」が大好きです。

武道館公演の翌年の1990年7月7日ローマのカラカラ浴場で、イタリア・ワールド・カップの前夜祭として行われた3大テノールの競演の様子は全世界に生中継され8億人の人が見たとされています。(3大テノールの当時のライナーノーツより)
ご多分に漏れず私も8億人の中の一人。

謹んでご冥福をお祈りします。
posted by 愛し恋し青赤 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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